魂たちの物語〜地球に生まれて〜

地球に生まれし魂(ひと)としての物語を綴っていきます

其の十五

山背大兄王

上宮厩戸王の長子として生まれた山背大兄王は、誠実でまっすぐな人柄が、信頼のおける人物として多くの人々より敬われていた。しかし、彼自身は、得も言われぬ物足りなさに、常に思い悩んでいるようであった。また、幼き頃から、神童厩戸皇子の息子として、期待され続けてきた彼は、心に重たい雨を降らせていた。

「私は、父とは違う。私が為したいことは、他にある気がしてならぬのに、なぜ、私は自由に生きられぬのか。心のままに在りたい。なれど、心のままというものが、どういうものであるのかわからぬ。仏を信じ、敬うのは当然のことであるが、それだけでは何かが足りぬ。なんなのだ?私は、何かをせねば、何かを知らねばならぬというのに・・・。」

10歳を過ぎたあたりから、何かに思い悩む姿がみられはじめた山背大兄王は、次第に影を帯び始めた。それでも、彼は誠実であったし、人当たりも面倒見もよく、人々から慕われていた。

成人となり、自らが父親となっても、彼の憂鬱は消えなかった。よき父であり、妻に対してもよき理解者である。そんな山背の状態を気にかけた厩戸王である日美の神は、ある日、山背を夢殿へ呼び入れた。

「山背。そなたは自分がこの世に生まれた意味に思い悩んでおられますね。」

いきなりの言葉掛けに、山背は大層驚き、返事に詰まってしまった。

「これから、そなたに大切な話を聞かせねばなりません。そなたと私の二人だけの秘密になるでしょう。なぜなら、他の誰に伝えたところで、信じることは難しいでしょうし、思い出すこともできぬでしょうから。」

一体、なんの話をされるのか、緊張ぎみで戸の近くに立ちすくんだままでいる山背に、もっと近くに来るよう促した。山背は、久しぶりに父親の顔を間近に見た。

いくつになられてもお若いままだ。私が子どもの頃の父と、どこが変わっているものか・・・そんな思いを抱きながら、父の前に立つ息子を尻目に、厩戸王は、ゆっくりと両手を山背の前に突き出した。「そなたの手を、私の手にかざしてごらんなさい。」

「はい」言われたままに、手を差し出す。

「よいですか。今、ここにのみ集中なさい。手と手の間に感じるものを、そのままに感じるのです。」

「手と手の間の感覚…」目を瞑り、じっとその手の中にあるものを感じていく。なにやら温かくて優しい感じがする。まるで、小さな光がそこに宿っているかのようだ。そう感じた時、父の声が耳に響いてきた。「そう。その光を、どんどん大きくしていくのです。ただ光に集中する。光の色、光の質、光の音・・・感じるままに感じなさい。」

手と手の間という感覚もすでに消え失せ、光はどんどん大きくなっていった。

「なんだこれは・・・」不思議な感覚に身を委ねる。立っているのか宙に浮いているのか、そもそも自分はどこにいるのかもわからなくなる程、光は見知らぬ空間を満たしていく。いつしか空を飛んでいる自分に気付く。まるで天女の羽衣が手に入ったかのように、ふわふわと体が浮いて、自由に空を飛んでいるのだ。そこでまた、父の声が遠くから聞こえてきた。「一条、そこに何が見える?」

「あ、光が…真っ白の光の中に、淡い桃色の衣服をまとった天女のような…

音が聞こえてきます。いえ、聲…歌が響いてくる。懐かしい歌…神の歌。」

知らぬ間に、山背の頬は涙で濡れていたが、本人は気付いてはいないようだ。

「ああ、温かい。息が楽になってきました。そう、この歌だ。私がいつも歌っていた。教えていただいた神歌だ。ひみつたり様の・・・」一瞬、バチっと熱い何かが弾け、山背は驚いて目を開けた。「あ・・・今のは?」目の前には、変わらぬ姿の父が立っている。

ようやく、涙に濡れている自分に気付いた彼は、自分の頬に手をあてて「え?泣いていた・・・?」と静かに語った。

厩戸王が問うた。「何を見ましたか?」

「美しい光と歌の中に、まばゆい神が顕れました。私は、ひみつたり様と申し上げたように思います。」

「そうですか。他には?」

「他に…ですか?ただ懐かしくて、優しい光の中で、ずっとこのままでありたいと思っていました。あ・・・先程、父上は、私のことを山背でなく別の名を…一条と呼んでいらっしゃいました。あ、あれ?」

自身でその名前を語った瞬間、彼は、えづくような妙な感覚に陥った。急いで、父の前から離れ、口元を袂で抑える。何度となく襲ってくる吐き気のような、何かが喉から出てしまうような奇妙な感覚を憶えて、立っていられなくなった。

厩戸王は、優しく近寄り、彼の背中に手を回した。

「もったいないことにございます!」口に衝いた言葉に自身で驚きながら、山背は、いきなり振り返った。一度、両肩を上げ、ふうと息を吐きながら、肩を下すと、彼は目を見開き、まっすぐに目の前にいる父、いや、自らの敬愛する神の前に膝をつき、彼は言った。

「日美様・・・」と。

 

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